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- 読んだらただちに廃棄せよ。現代の本はなぜかみなこれを要求する。だが実際に棄ててみると、奇妙な鳴き声をあげてどこまでも追ってくる。他人が本を棄てるのを見た。放られた本は地面につく前に煙になった。どうしたら本を「読める」のか。鳴く本たちで部屋は足の踏み場もない。
- 読んだらのこさず食べること。食べるつもりのない本を読んではならない。スポーツで読書を楽しむ者もいるが、そのように本を読み捨てることの残酷さたるや。ところで、書毒は体内に蓄積されると死をもたらすことが明らかになっている。今年も書猟解禁が近づいてきた。
- 読んだらただちに廃棄せよ。廃棄せねば、本がおまえを読みはじめる。読み終えたら、本はためらいなくおまえを棄てるだろう。その耐えがたい苦痛を思え。だが、結局おまえは本を棄てられない。そのことだけは間違いない。そう書かれている。
- 読んだらのこさず食べること。可読性より可食性に配慮しています。その結果どう見てもおいしそうな料理で、読めない。読めない結果、食べられない。そこへ昆虫たちがやってきた。賢い彼らは大いに読み、食べた。腹を満たし、都市の建設に向かう彼らを飢えた眼で見送りました。
- 読んだらただちに廃棄せよ。あらゆる文章は棄てられるために書かれている。棄てられて、風に漂い、鳥が読む。鳥たちはかつては印刷所で活字を拾っていたのだから、意味はわからなくとも何かをさとる。どこかに本で出来た巨大な巣があるという。さらわれた人の子供が育つという。
- 読んだらのこさず食べること。食用に適さない本もあります。でも読むに堪えない本だって読まなければいけないことはあるのだから、頑張って食べてほしいと思います。いずれにしても本に栄養はありません。本を食べるという行為が意味を持つのは私たちの死後千年たってからです。
- 読んだらただちに廃棄せよ。棄ててただちに仕事に戻れ。働くあいだに本を棄てたことへの後悔が心の中でどんどん厚みを増し、眼の前の仕事に想定外の決定的なひと押しを加える。それが本当の読書というものだ。かくして今日も幾人かが業務中に消息を絶つ。
- 読んだらのこさず食べること。それが貴方の糧になる。貴方のはらわたをややこしくして、貴方の骨に突起を増やす。本にはそういう力がある。それを呪いと呼んでもいい。読書の呪いは食書の呪いで打ち消される。そう考える人もいるけれど、実際にはただ二重に呪われる。
- 残虐ゲームがニートを生む。非重要絶滅危惧地球外生命体(Nonessential Endangered Extra Terrestrials)の略である。ゲーム内のキャラクターが現実の人類に反旗を翻す可能性については諸説あるが、NEETは無害であるとされる。
- ニートの反乱が始まった。非重要絶滅危惧地球外生命体(Nonessential Endangered Extra Terrestrials)はその低ポリゴン性を利用して視野辺縁から侵入し、残虐ゲームを好むプレイヤーの涙腺を攻撃する。わけもわからず泣けてくる。
- 今年も走馬灯流しの季節がやってきた。事情を知らない人にはただ奇妙に張り詰めた表情の人々が川を流れていくようにしか見えないが、そう見ても忘れ難い光景ではある。数キロ下流に網が張られていて、人々はそこで全員回収される。その点はアヒルちゃんレースと同様である。
- はじまりだと思いたい。空から降るこれは何かが燃え尽きるときの光であって、終わりを意味しているのだけれど、歓迎すべきものの訪問と受けとめ、祝いたい。そうカンガルーは思った。それは彼だけに見えるものだった。喜びと悲しみの始まりだった。精神の宿木に選ばれたのだ。