2007_02_07

 
あのころの僕たちは
なにを話すにも
糸電話だった。                
                      
2008年ごろのことだった。


「もしもし?」


「    」


「もしもし?」


「『ここは暗くて寒いです』」


「冷凍倉庫だしね」




「糸をしっかり張りたまえ!」


博士の語尾は
いつでも「たまえ」なのだった。


「古臭いとは言わんでくれたまえ!」


「古臭いっていうか、単にフィクションくさいかなあって…」


「        たまえ!」


「博士? 博士? 糸が……」


「ダイヤルを回したまえ!」


「糸電話にダイヤルって、あっ」


それはむしろ釣竿のリールに似たもので、
回してみると糸がたぐり寄せられる感触があった。
巻き取り続けるうちに、糸の先の消失点がこちらへ
近づいて来る。

真っ直ぐ水平に張られたまま、糸はある一点から先で
忽然と虚空に消えうせていた。



「                 たまえ!」


「   」





「紙コップが先か、糸電話が先か」という命題は、
つまるところ、かの大陸上の特定の地点に
まったく異なる2つの文明のどちらが早く
到達したかを問うているに過ぎないのであって、
誰もが知るその答えの影響の果てに我々の暮らしの
すべてがあるのだと、そのことさえわかっていれば
大抵のことは相対化という名の重いコンダラ(*誤用)によって
平らに均してしまえることを、すべての新生児が
百歳前後の年齢に達する前に理解するべきだというのである。

また、自明な事柄から先に消失してゆくのであって
その逆ではないことに注意しておかねばならず、
たとえば箸と茶碗では茶碗のほうが先に消える。
教師はそのように実演して見せてくれた。
直後にその教師も消えた。
以降、我々は自学自習を余儀なくされたのであった。
 
   年ごろのことだった。